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英:Franklin-Nashville Campaign、またはフッドのテネシー方面作戦、英:Hood's Tennessee Campaign)は、南北戦争の終盤1864年秋に、西部戦線のアラバマ州、テネシー州およびジョージア州北部で戦われた一連の戦闘である。南軍ジョン・ベル・フッド中将のテネシー軍がジョージア州アトランタから北に侵攻し、北軍ウィリアム・シャーマン少将の通信線とテネシー州中部を脅かしたが、ジョージ・ヘンリー・トーマス少将の北軍がテネシー州ナッシュビルでフッド軍に対して決定的な勝利を挙げた。 フッドのテネシー軍39,000名はロバート・E・リー将軍の北バージニア軍に次いで、南軍に残っている軍隊としては2番目に大きなものだった。ベンジャミン・F・チーザム、スティブン・D・リーおよびアレクサンダー・P・スチュアート各中将の3個軍団とネイサン・ベッドフォード・フォレスト少将の騎兵隊で構成された。 この方面作戦の開始時点で、ミシシッピ地区軍と呼ばれた北軍はアトランタにいたシャーマンが指揮していたが、シャーマン自身が関わったのは10月の終わりまでだった。シャーマンが指定したのはトーマス(「チカマウガの岩」と渾名された)のカンバーランド軍であり、この軍隊は以前ウィリアム・ローズクランズ少将やシャーマン自身が指揮していた。シャーマンが海への進軍のために去った後はトーマスが主たる指揮官であり、その下にはジョン・マカリスター・スコフィールド少将が指揮するオハイオ軍が付いた。総勢は34,000名であり、デイビッド・S・スタンリー少将の第4軍団、ジェイコブ・D・コックス准将の第23軍団およびジェイムズ・H・ウィルソン少将の騎兵軍団で構成された。トーマス軍にはナッシュビルまたその管轄範囲内にも散開させた別の6,000名という兵力があった。 シャーマンはアトランタ方面作戦に成功しアトランタを占領した。フッドはアトランタ市明け渡しを強いられ、ラブジョイ駅で自軍を再結集した。ほぼ1ヶ月間、通常は攻勢を採るシャーマンがほとんど動かず、その兵士達は無為に過ごし、多くの者が徴兵期間の終了で軍を離れた。1864年9月21日、フッドは自軍をジョージア州パルメットに移し、そこで9月27日、アメリカ連合国大統領ジェファーソン・デイヴィスの訪問を受けた。2人は戦略を話し合い、フッド軍がテネシー州チャタヌーガに向かってシャーマンの通信線に対する作戦を行うことになった。彼等はそうすればシャーマン軍が従いてきて、フッドがシャーマンを決戦に誘い込めると期待した。 シャーマンはサバンナ市奪取のために東への行軍を立案していた(この作戦はシャーマンの海への進軍と呼ばれる)が、後方チャタヌーガまでの通信線を心配していた。1つの特別な脅威はゲリラ戦の指導者で騎兵隊指揮官ネイサン・ベッドフォード・フォレストであり、長い間北軍後方を電撃的に襲撃することで悩ませていた。9月29日、ユリシーズ・グラント中将はシャーマンにフォレストを処理し、トーマスをナッシュビルに派遣してテネシー州内の全ての軍隊を纏めさせるよう指示した。シャーマンはジェイムズ・D・モーガン准将の別の師団をチャタヌーガに派遣した。 これまでシャーマンがその資産運用 を守るために兵力を分散させられていたので、南軍の戦略が機能していた。しかし、シャーマンは完全にはフッドの罠に嵌らなかった。トーマスにフォレストやフッドに対処できるだけの兵力を与え、一方でサバンナに向けた攻撃作戦を実行するつもりだった。9月29日、フッド郡はチャタフーチー川を越えて前進を始め、シャーマンの供給線であるウェスタン・アンド・アトランティック鉄道を脅かすためにその40,000名の兵力を北に向けさせた。10月1日、フッドの騎兵隊がマリエッタ近くの鉄道を襲っているときに北軍ジャドソン・キルパトリックとイズラエル・ガラード各准将の騎兵隊に妨害されたが、シャーマンは依然としてフッド軍の所在が掴めていなかった。続く3週間、シャーマン軍はフッド軍の動きに従いていく困難さを味わった。フッド軍は急速に動いており、その行軍を遮蔽し、主導権を取り続けた。北軍の騎兵隊はシャーマンが適切に訓練して居なかったものであり、フッドを追跡しその動きを報告するのに苦労していた。 10月3日、シャーマンはヘンリー・W・スローカム少将をアトランタに残し、約55,000名を率いてマリエッタに向かった。フッドはその軍隊を分けて、指揮下の大半をダラスに送った。残りはサミュエル・G・フレンチ少将の1個師団であり、北軍ジョン・M・コース准将が南軍の動きを遮るために派遣されていたアラトゥーナにむけて鉄道沿いに進んだ。 南軍フレンチの師団は10月5日の日の出にアラトゥーナ近くに到着した。フレンチは北軍に降伏を要求しそれが拒否された後で攻撃を始めた。北軍の外郭の戦線は2時間半南軍の攻撃に持ち堪えたが、その後後退し、アラトゥーナ・パスにある土盛りの砦で再結集した。フランチは繰り返し攻撃したが、砦は持ち堪えた。南軍は弾薬が尽き掛け、北軍の援軍が到着したという報せによって後退しフッドの本隊に再合流した。 フッドはその後西方に動き、アラバマ州との州境に近いローム近くでクーザ川を渉った。そこから北のレサカ方向に向きを変え、それまでテネシー州で襲撃を続けていたジョセフ・ウィーラーの騎兵隊と合流した。10月12日、フッドはレサカに駐在する北軍旅団に降伏を要求し、レサカ市を包囲するためにスティーブン・D・リー中将の軍団を残した。リーは北軍の陣地を攻撃すれば損失が大きくなると考え攻撃を拒否した。一方シャーマンはフッド軍の所在が掴め、レサカへの援軍派遣を命じた。フッドはアレクサンダー・P・スチュアートを北のテネシー州との州境に近いトンネルヒルまで送り、出来る限り鉄道を破壊させた。この作戦の間、スチュアートはダルトンでアフリカ系アメリカ人の1個連隊を捕虜にした。 シャーマンはその全軍をレサカに向けさせ10月13日に個人向け国債 した。フッドはレサカから西のアラバマ州ゲイルズビルに向けて撤退した。フッドはジョージア州クロスローズ近くでシャーマン軍と会戦に及ぶことを期待したが、その部下達が自軍は攻撃のリスクを冒すだけの士気が備わっていないと説得した。この頃までに、シャーマンはグラントから、サバンナへの行軍を検討した方が良いという指示を受けていた。シャーマンは迅速に移動しているフッド軍を追跡するという短期間の目標を決めた。トーマスに以前北へ派遣していた2個師団を連れ戻させ、10月17日までにこれらの師団はジョン・スコフィールドの指揮下に入っていた。この部隊が10月23日にゲイルズビルでシャーマン軍と合流した。 フッドはクロスローズでそのipo を集中させるために時間を使った。トーマス軍がシャーマン軍と再結集するのを阻止し、それを押し潰しておく必要があり、テネシーまで迅速に動けば北軍が再結集する前にトーマス軍を破れるかもしれないと計算した。トーマス軍を排除できれば、ケンタッキー州中央まで進軍し、ケンタッキー州とテネシー州から新兵を募って補充できると考えた。シャーマン軍が追いつく前にこれら全てを成し遂げることを期待した。その作戦では、もしシャーマン軍が従いてくればケンタッキー州で戦うことであり、そこからはカンバーランド峡谷を抜けて東に移動し、ピーターズバーグで包囲されているロバート・E・リー軍を救援できるというものだった。 10月21日、フッドの作戦は西部戦線全軍を指揮しているP・G・T・ボーリガード将軍の承認を得た。フッド軍はアラバマ州ディケーターに向かって進発し、フロレンス近辺でフォレストの騎兵隊と落ち合うつもりだった。 フッドはテネシー を渉る試みの中でディケーターに対する示威 を行った。ロバート・S・グランジャー准将が指揮する北軍はこの戦闘の間、その戦力は約5,000名に過ぎなかったが、遙かに大部隊の南軍が川を渉るのを阻止できた。 フォレストは23日間の襲撃を率い、その頂点がテネシー州ジョンソンビル北軍補給基地への攻撃だった。ミシシッピ州コリンスから北に振り、ケンタッキー州境に向かって一時的にハーマン砦でテネシー川を塞ぎ、続いてテネシー川西岸に沿って南に下り、北軍の蒸気船やボートを数隻捕まえたが、それらは後に放棄するしかなかった。11月4日、フォレストは北軍補給基地の対岸に大砲を据え始め、ジョンソンビルに上陸した。2日間にわたって陸軍と川の軍隊の間に多くの交戦があり、北軍補給基地はかなり破壊された。この勝利でフォレストの評判をさらに高め、北軍の大量の物資を破壊したが、ジョージアで北軍が成功を収める流れを止めるまでには至らなかった。